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Food for Thought
“Food for thought”という言葉がわかり難いので困った。
「お里がしれる」という具合に訳をされたが、食べ物、食べ方で、その人の 人格までわかるということになる。
最近はあまり耳にしない言い方になったが、アメリカでもこの言葉が、ある ということに驚いた。子供の時は、食べる時に音をたてるな!食い散らすな! 残すな!と厳しく文句を言われたものである。最近は、家族がバラバラに食事をする場合が多くなり、子供の食事のあり方まで口を出す場面が少なくなってきた。ルームメイト家族は食事作法がメチャクチャになってきている。
又、コンビニ食事が隆盛になり、晩はこのコンビニ弁当だけ!とか、おにぎりだけとかの食事になり・・・若い従業員に聞くと、毎日コンビニに行く場合が多いのだそうです。独身族には誠に都合に良い場所になった。
結果、食事がバラバラになり、「食」へのあり方も大きく変わり始めている。 テンヤモンなどと言って少し軽蔑を持って指摘された食事のあり様も、一昔前のものになっている。何を食おうが、どこで食おうが、幾らで食おうが、干渉しないで下さい!とお叱りを受けそうである。
「お里がしれる」などと言う表現は、最近聞かれなくなった。
個人の自由である!という事になり、勝手放題、好き放題になってきた。 「本当に美味しいのが判るの?」と聞きたい場面も出てきた。この珈琲が 美味しい!と褒めて頂けるのは嬉しいが、砂糖やフレッシュの入れ方、掻き 混ぜ方をみていると、オベンチャラを言われている気がして、「本当に判って いるの?」と聞き返したくなる。
生活信条としての「食」のあり方がどこかに行ってしまった感がする。実に 残念な事ではあるが、日本文化も消えて行きそうです。 意固地になって、美味しい珈琲を守りたく思う。
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